『発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由』栗原類(KADOKAWA)
24年間生きてきて、昨日初めて気づいたことがある。
私は、「来た道を戻る」のが苦手だということ。
ずっと「方向音痴だ」とは思っていたけれど、Google mapが手元にあれば、目的地に行き着くのに迷うことはそうない。問題は、目的地から帰るときだ。来た道をそのまま戻ろうと思うのに、それができない。
一度見た景色は、逆から辿ると、子供が書く鏡文字のように「あっているけど違っている」ような気持ちの落ち着かない感じになる。
行きは右にあったお店が真正面にあったり、行きは後ろに見えた信号が左にあったり、わけがわからなくなって、結局Googlemapを開く。
アプリに頼ると、いとも簡単に戻ってこれたということは何度もある。
道を道として覚えられないということみたいだ。
私は、そこに立った時に見える景色を絵のように捉えていて、記憶に残ったそれをつなげて「道」を認識している。だから逆から辿る道は、ついさっき通った道であっても、初めての道だ。
他にも私には、どうしても克服できないことや苦手なことがたくさんある。
お釣りの計算、忘れ物をしないこと、電話(かける方も出る方も)、初めましての人ばかりの場所…
自分にも「できないこと」はたくさんあるのに、他人の「できないこと」をわかるのは、難しい。
ついつい「なんでこんなこともできないの?」とイライラする自分がいる。
「こんなこともできないなんて」とバカにしてあざ笑っている、意地悪な自分もいる。
つまらないことだ。
「できない」を非難するのでなく、その人の「できる」に注目した方が、お互いにとっていい。
「できる」をちゃんと認め合えた先に、「できない」とどう付き合っていくか、ということも考えられるようになる。
自分や、その人自身が変われなくても、やり方を変えれば、何かに頼ることをよしとすれば、できるようになることはたくさんある。
「栗原類が輝ける場所をみつけられた理由」には、そのヒントがたくさん隠れている。
東洋経済オンラインの記事 →http://toyokeizai.net/articles/-/172230
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