人生は、“要点以外”だらけの日常で、できてる。
SAKEROCKの「SAYONARA」は、「さよなら」なんて歌詞はどこにもないけれど、紛れもなくさよならの音楽だ。むしろ、「さよなら」という言葉よりもずっと、さよならの時の切なさ、寂しさ、まだ見ぬ「さよなら」のあとへの期待、いろんな感情を含んでいる。
私たちは日常の中で、言葉を贈りあったり、投げつけたり、噛み殺したり、色々な方法を使って、言葉で気持ちを表現しようとしている。今私は猫と暮らしているけれど、言葉を持たない猫にさえ、言葉を使っている。猫と違って、人間は言葉を持っていて、言葉は日常を彩っている。
ただ、言葉にするということは、時に多くのことを削ぎ落とすことでもある。「さよなら」という言葉にすることで削ぎ落とされてしまう諸々を、「SAYONARA」という音楽が表しているように。
監獄のお姫さまの回想シーンで何度か出てくる、馬場かよ(キョンキョン)のセリフで、私はいつも胸がクッとなる。不倫をした夫に、妻の馬場かよが話し合いを求めるシーン。キッチンのタイマーが鳴ったのに気づいて、もうこりごりだといういうふうに夫が「要点にまとめて話さない?」という。
それまで「冷静に、冷静に」と自分をなだめていた馬場かよが、何かが外れたように叫ぶ。
ー要点しか話したらいけないんですか?要点以外はどうしたらいいんですか。あなたには他に話す相手がいるかもしれないけど、私にはあなたしかいないの。だから、全部、要点なの!!!ー
要点以外。言葉は時に、要点以外を削ぎ落としてしまう。
監獄のお姫さまは、女性の刑務所を舞台にしたドラマ。当然、登場人物は殺人未遂だったり、巨額脱税者だったり、シャブ常習犯だったりする。馬場かよも、このセリフの後に、夫を包丁で刺してしまう。そんな奴らが愉快に笑わせるドラマなんて、クドカンだから許されるのだろうか。
でも、監獄のお姫さまはブラックユーモアではない。
頭から尻尾の先まで、しょうもないドラマなんだ。ストーリーのメインとなっている「おばさんたちの不完全犯罪」はどうしようもなく不完全で、そんなおばさんたちが刑務所の中で繰り広げる日々も、本当にしょうもない。
しょうもないことに、腹の底から笑える。
これが、クドカン作品だと思う。
だって、私たちの日常はしょうもないことだらけだ。しょうもないことの隙間に、時々奇跡のようなことや、飛び跳ねるくらいの喜びや、ショッキングな出来事もある。それもまた人生のスパイスだけれど、ほとんどは、しょうもないこと。
しょうもないことだらけの日常が積み重なって、私たちは生活していて、それが人生だ。その末に、みんないつかどこかで必ず、死を迎える。
要点以外。しょうもないこと。それが生きている間の大半を占めるとしたら、思いっきり笑えた方が、お得な人生だと思う。
角刈りばかり大量生産する、キョンキョン。
パンをお尻で潰してミルフィーユをつくる、姉御こと森下愛子。
「だって私、女優よ〜」というセリフを我が物にしている、(ホントに)女優の坂井真紀。
ほんとみんなしょうもなくって、愛らしくて、おかしくって、最高。
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