仕舞わない洗濯物

洗濯物をたたむ。

タオル2枚と、下着とパジャマ1セットずつだけよけて仕舞わずに、脱衣室に置いておく。


今日は、お風呂に入る前に、着替えとタオルの準備をしなくて済む。

ただそれだけの「効率的」なことに、得をした気分になる。

こういうところに、私の変わらない、変えられない性質を確認して、やれやれ、と思う。


何を決めるにも、頭の中で先回りをして損得を計算してしまうのは昔っからで、そういうところが粋でないし、自分をつまらなくしていることに気づいたのはいつだっただろう。

誘いにのるか断るか、買うか買わないか、あの道にするかこの道にするか。日常の些細な選択も、効率的な方を、あとで損をしない方を、と考えてしまう。その度に、斜め上から見下すもう一人の自分が「やれやれ」と肩を落とす。


10代の自分と比べれば、今ではだいぶ、損得ではなく「今、大切にしたい方」「私が、好きな方」を選べるようになったと思う。選ぶ、ということがそもそも、本当は必要無いことなのかもしれない。


そう。随分、生きやすくなった。

仕舞わずにいる洗濯物は、私の、それでもやっぱり変えられない部分なのだ。

少しくらい、愛しく思ってあげてもいいのかもしれない。

「やれやれ、しょうがない奴だなあ」と、愛しく思ってあげたい。

それが、変えられない私、なんだから。

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