世の中知らないことばかり。隣人のことも。

昨日今日と防火管理者講習を受けた。大学のように、90分ほどのコマをそれぞれ担当の消防士が講師として担当する。出だしの数十秒で、この先の90分が“聞ける”90分かそうでないかわかるのも、大学を思い出した。声のトーンとギャグのセンス、これ大事。

元野球少年(ピッチャー)、消防士となった今は元同級生と結婚し、二児の父。というのは完全に勝手な想像だけれど、そんな爽やかな雰囲気を纏った消防士さんが受け持ったコマ。「火災時に人々が陥るパニック」という項で、すぐに思い浮かんだ光景は、先日宮崎キネマ館で観た『ホテル・ムンバイ』の、テロリストの銃撃から逃げ惑うホテル客と従業員たちの姿だった。


2008年に起こった、ムンバイ同時多発テロ。

高層ビルに航空機が追突し黒煙をあげる映像が印象的だったのは、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ。こちらはその映像が「9.11」として記憶に刻まれている。一方、ムンバイ同時多発テロは、正直全く記憶にない。11年前というと、私は15歳、中高一貫校で寮生活をしていた時だ。寮のご飯を食べながら、ニュースが流れていたあのテレビ画面に、タージマハル・ホテルの惨状も写っていたはずだ。


そんな記憶にもない出来事の映画だったのだけれど、胃に響くような2時間だった。映画を観て、「恐怖」と「遣る瀬無さ」で涙を拭うのは初めてだったんじゃなかろうか。映画館を出て見上げた、すっこーんと広がる宮崎の青空さえ恐ろしく感じるくらいだった。


何が怖かったんだろう。銃声。テロリストの少年たちの眼差し。膝から崩れる人間。血の海。静かにしないとバレるのに、ガタガタ震える体。“パニック”に陥る集団。

その中で、主人公・アルジュンが、自らが頭に巻いているターバンのことを語るシーンは、忘れられない。疑いは晴らすのでなく、自らの手で解いてみせるものなんだと知った。


本当に怖いのは、銃声でも、血の海でもない。

異なる文化、信仰、歴史を持った人と人が、小さな疑いから殺し合ってしまうこと。


知らない文化、知らない宗教、知らない国、知らない人、知らない隣人のこと。そして、私の考え、私の家族、私の歴史、私のこと。知りたいと思うこと、知ろうとすること、教えて欲しいと伝えること。

テロも戦争も迫害もいじめも、日常の中から起こる。全て、人と人の間から起こる。


もっと知りたい。知ることは、とても楽しい。

講習の後に定有堂書店に行って、今日はこの本を選んだ。

日照雨

諸岡若葉の、ものごとの記録と表現。

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