「誤解を与えてしまうような」はおかしくないですか。

政治家の失言が後をたたない。

今朝のテレビのニュースでも、車中で聞くラジオの特集でも、「自民党が党内に失言防止マニュアルを配布」したことが取り上げられていて、それは朝の低血圧な頭にもボワンボワンと響いてきた。信じがたい失言や、それらに対してマニュアルを配布するというレベルの低さもさることながら、私的に気になる言葉遣いについて。


北方領土問題に対して「戦争しないとどうしようもなくないか」と発言した、丸山穂高衆院議員の、記者会見の中で聞こえてきたこと。


ー誤解を与えてしまうような、極めて不適切な失言であったと思います。


誤解を与えてしまう失言、誤解を招くような表現…謝罪会見で決まり文句的に使われる言葉。私は聞くたびに、引っ掛かりを感じる。


この気持ち悪い、引っ掛かりはなんだろうか。

その感覚を大事にして、一つずつ紐解いていくと、見えてくるものがある。


“誤解”ってなんのことだろう。誰が、“誤解”するのだろう。

あれれれれ?

“誤解”するのは聞き手側、ということになってはいないか?


「聞き手による誤解」を言い訳にして、失言そのものをやんわりこっそり肯定に近づけようという、意地悪い感じが見え隠れするように感じられるはしまいか?


あ、誤解させちゃいましたね。すみません、そういう意味で言ったんじゃなかったんですけど、そう解釈させてしまったのなら、謝ります。

ということになっていないか?


たとえお酒に酔っていたとしても、本人が発した言葉は、本人の考えに起因するもの。今回の失言で言えば「戦争しないとどうしようもない」というのは、丸山穂高議員の考えとして発せられた意見でしょう。


ー戦争しないとどうしようもなくないですか。


“謝って解釈する”余地はどこにもないじゃないですか。戦争しないとどうしようもない、は、戦争しようとどうしようもない、以外に解釈できない。


なのに、「誤解を与えてしまうような」はおかしくないですか。

誰よりも誤解しているのは、失言をした本人なのに。決まり文句だからいうのでしょうが、決まり文句を鵜呑みにしての謝罪なら、謝罪になっていないのではないですか。


そして、失言はマニュアルによって“防止”するもの、できるものなのですか。

政治のことはまだわからないことばかりですが、日々のニュースからでも、少しずつ知りたいと思っています。






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