学ぶとはインポータントでなく、インタレストである。

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…初めて会ったシュベックは、オーストラリア人のいい奴でした。昼食を食べながらしばらく話して、彼は勉強があるのでと別れた。ぼくが「学校に行くのは大事(インポータント)なことだからね」と言うと、彼が去りかけたところをわざわざ戻ってきて言ったんです。「勉強をすることはインポータントではないんだよ、インタレストなんだよ」と。そう、勉強というのはインタレストなんだ、忘れられない言葉です。


他人に言われると、ムッとする言葉がある。どんなに親しい相手、尊敬する人に言われても、やはり私は機嫌を悪くする。それは、私が「(大学は)お茶の水女子大学でした。」と言った時に、8割くらいの確率で返されるのである。


ーお嬢様じゃん!


こうやって書くだけでもムッとする。お茶の水女子大学は、国立大学であって私立大学ではない。もちろん他の国立大学もそうであるように、学費は必要だ。東京にあるので、学生生活を送るにもそれなりの生活費がかかる(私は月額1万円のオンボロ寮に4年住んだが)。

父は学費と仕送りを捻出してくれた。若くから持病のある体に鞭を打ちながら、地方銀行でサラリーマンをして稼いだお金だ。それがなければ大学に進学できなかったのは事実であるが、それがあったから入学できたわけではない。

今思い出しても、どういう頭と体力を持っていたのだろうと不思議なほど勉強に打ち込み、それを応援してくれる両親がいたから、入学し、4年間通うことができた。決して、お嬢様だったからではないし、事実お嬢様でもない。


女子大学であることや、悠仁さまが通っている(とはいえ、学習院がスタンダードの皇族としてはかなり珍しいパターンである)こと、“お茶の水”という品のある感じ。お嬢様イメージにつながる思考回路に決して悪気があるわけではないことは、わかる。でもやっぱり、気にくわないのである!


なんだか機嫌の悪い文章のようであるが、今日読んだ安野光雅の一冊でこのエピソードに出会い、感動してパソコンを開いている。大学名を言った時に、お嬢様と言われることや、学歴が高いというイメージを持たれることに対して、私が違和感を覚える最大の理由がはっきりしたのである。それで実は、とても機嫌がよろしいです。


10代の6年間を過ごしたフォレストピア学びの森宮崎県立五ヶ瀬中等教育学校では、学ぶとはインポータントでなくインタレストであるということを知りました。負けず嫌いが過ぎて、「絶対一番」にかじりつき過ぎていましたが、睡眠時間や寮で友人と過ごす休日のひと時を削ってまで勉強していたのは、おもしろかったから。知るということが、覚えるということが、それらによって脳が複雑化してより緻密に繋がっていく感覚が、とても豊かに感じられた。

だから、お茶の水女子大学で学びたいと思って、必死に勉強した。大学では生活文化学(特に、民俗学)を選んだ。単位のための勉強は苦行でしかなかったけれど(特に英語や、女性リーダーを育てる的な授業)、自分で選んだ勉強は面白かった。「常識を疑え」ということも、ここで染み付いたと思う。それらはやはり、インタレストだった!


それにしても、この本では、安野光雅が藤井聡太七段や、2020東京オリンピックのこと、憲法9条のことなどに言及していることに感動した。つい最近も植田正治の本を読んで、「私が7歳の時まで、この人は生きていたのか!惜しいことをした…」(植田正治は2000年に死去)と悔やんだ。いやいや、7歳で植田正治に出会えるわけがないし、万が一出会ったとしてもまだ7歳の私にはその魅力もわからなかったでしょうが、と自分を慰めるのだけれど。


安野光雅さんは現在、93歳。ご健在のうちに、知ることができたことが何より嬉しい。

そもそも、安野さんのことを知ったのは学生時代に知り合いを通じて島根県津和野町(安野さんの出身地)に行った時だったのだけれど、その時は「へー。旅の絵本描いている人の出身地なんだ」と思ったくらいで、実家にあった『旅の絵本』は文字がなくて、子どもだった自分にはちっとも面白くなかったな、なんとも思ったのである。

それが、 『にほんご』で「なんと素晴らしい!」となり、近所で「安野光雅が描く 心のふるさと明日香 奈良」特別展が開かれると知り、県立図書館で本を借りて、すっかりファンになったのだ。


嗚呼。やはり、学ぶとは、知がつながるとは、インタレストである!


写真が暗いのは、私は白い電気が好きではなくて、だいたい家では暖色系の豆電球だけで過ごしているからです。



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