ミモザが欲しい頃。

今年は自分の引っ越しと重なったこともあり、正月、実家に帰らなかった。

まあ、正月だからと特別にすること言えば三社参りくらいの、そういう家だ。

高校生の時に祖父母が亡くなってからは、親戚の集まりみたいなものも無い。

わざわざ、ごった返す人混みの中を帰らなくても、ね。

しかも、猫だって連れて帰らなければならないのだから。


ただ、父のことは気がかりだった。

若い頃から、糖尿病という持病を抱えている、父。

いよいよ人工透析が始まったのは年末のことだ。

年末から年始にかけて入院し、今は通院の日々。

電話口では「だいぶ楽になった」と言うけれど、自分の目で今の父を確認しておきたかった。

父と二人でいる、母のことも。


そんなことで、有給を使って、2月の頭に実家に帰ることにした。猫を抱えて。

ちょっとは社会人らしく働く姿も披露しておかなくてはと、ただでさえ大荷物(猫)だというのにパソコンも持って帰ってみたりしたが、果たして総計30分も開いただろうか。

実家に帰ったら、私は父と母の“娘”になってしまうのだ。

社会人でもなんでもない娘は、ソファの上で、だらけっぱなしの3日間を過ごした。


そんな娘も、父と母が墓参りに行くと言えば、化粧もせずについて行く。

「どこでも寝れる」が特技の母は、助手席に座るなりうつらうつら、そのうちこうべを垂れて昏睡してしまう。

花を買おうと途中で寄った農産物の直売所で車から降りたのは、父と私。

青いバケツに、無造作に入れられて並ぶ中から、無難に菊を手に取る父。

そのすぐそばに、可憐な、黄色のかたまりが目に入った。


直売所でバケツに入れられている黄色のかたまりは、間違えて連れて来られてしまったかのように、この場からは浮いて見えた。

それが、ミモザという花であること、この時期人気の花で、都会ではこの何倍もの値段で売っていることを興奮気味に父に言うと、ピンときたのかきていないのか、興味がないのかわからないが、何も言わず、手に握っていた菊にミモザを加えてレジに持って行った。


霊園に到着して母を起こし、墓までのなだらかな坂を歩く。父、母、私。


墓について、包んでいた新聞紙を開くと、ブワッと溢れるミモザ。

その余ったのや、活ける時に落ちてしまうのを、母は一本一本集めてまた新聞紙で包みなおした。

もったいないから、家に持って帰るという。


墓の世話を終えて、車まで坂を降りる。父、母、私。


家にたどり着いて車を降りる。

夏の台風で、母が大事にしていた木々が根こそぎ倒れてしまい、我が家の庭は少し寂しげだ。しぶとく生き残っているのは、この家を建てた時から、母が大事にしているハナミズキ。
暖かい宮崎では、もう蕾が頬を染めて春を待っている。


それを見上げながら母が、誰に言うでもなく、呟いた。

お母さんにも、ありました。ミモザが欲しい頃が。


母の横顔を見ながら、娘、声にせず答える。

お母さん、私は今、ミモザが欲しい頃です。


ミモザが欲しい頃があった、母。

母を、選んだ父。

ミモザが欲しい頃になった、娘。


親子です。

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