民衆の敵 第二話
小学校の卒業アルバム。個人写真の下に10文字以内で、自分のなりたいものを書きなさいと言われました。
「総理大臣になりたい★」と、書きました。
1学年160人ほどの中で、そんなことを書いたのは私だけでした。後々、当時の同級生には久しぶりに会うたびにおちょくられ、書かなきゃよかったと後悔しました。
あれから10年以上経って、今の私に「総理大臣」はとても遠い存在です。
まだ十分時間はあるけれど、これから「総理大臣」になるとも思えません。(人生何があるかわかりませんから、可能性ゼロとは言いませんけどね!)
あおば市の市議会本会議で、新人議員にして壇上に立ち、「それって、おかしくないですか?」と訴える佐藤議員をみて、「なんであの時、総理大臣になりたいって思っていたんだろう」と、ふと考えました。
もちろん、「大物になりたい!」という気持ちはありました。負けず嫌い、なんでも一番がよかった私にとって、総理大臣は日本で一番偉い人、だったから。
でも、「世の中のこと、全部知って、全部自分で決めたい」という気持ちが強かったのだと思います。それができるのは、日本で一番偉い総理大臣だ、と幼かった私は思いました。だから、本当になりたかったんです。
じゃあ、なんで今は総理大臣じゃなくてもいい、と思うようになったのか。それも考えました。総理大臣になりたくないってわけじゃなくて、ならなくてもいい、なんです。なっても、いい。(すんごい偉そうですけど。笑)
世の中のこと全部知って、全部自分で決めるのって、総理大臣になっても無理なんだ、と知ったから。そもそも全部知るなんて、無理なんだってわかったから。知るって、教科書を読んで勉強すればできることじゃないって、気づいたから。
全部は無理だ。だから、自分の身の回りのことから、一つ一つ知ろう。触れてみよう。それで、考えよう。考えてみて、おかしいと思ったら、おかしいって言おう。いいな、と思ったことも、ちゃんと「私はいいと思う」って、言おう。少々おちょくられても、自分の考えをちゃんと声にしよう。そう思うように、気づかぬうちになっていました。
総理大臣になりたかった12歳の自分も、ならなくてもいい24歳の自分も、変わらないのかもしれない。
「それって、おかしくないですか?」って、ちゃんと声にする佐藤議員が楽しみな、一週間の始まり。月曜日です。
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